これが最後なのだ。 舞台に立つちゃんとした服装の先輩の姿を目に焼き付けようと必死になって見つめた。 「よぉ!ちゃん!!」 「こんにちは近藤先輩、土方先輩。ご卒業おめでとうございます」 近藤先輩はいつものように陽気にがははと笑いながら手にした細長い筒を振り回した。その横にいる土方先輩もいつもより眼の光が柔らかい気がする。やっぱり卒業式は特別な日なんだろうか。 「ありがとう!ちゃんは来年も風紀やるの?」 「はい。委員長になるつもりです」 「そうかそうか!来年からの風紀委員会は頼んだよ!」 「任せてください」 「うん。ちゃんに任せられるなら安心だな」 近藤先輩は学ランのポケットから丁寧に折りたたまれた腕章を取り出した。何かの時に私達風紀委員がつけるものだ。 「これ、ちゃんにあげるよ」 何のためらいもなく先輩はそれを私の前に差し出した。 「・・・いいんですか?思い出とかあるんじゃないですか?」 「部屋にしまっとくより、ちゃんがまたこれを使ってくれたほうが俺も嬉しいよ」 にこにこと笑う先輩はとっても素敵だった。私も来年、こんな風に笑いながらこの腕章を次の子に手渡そうじゃないか。受け取った腕章を広げてみてからもう一度丁寧に畳み直してスカートのポケットに入れる。 「ありがとうございます。たまには遊びに来てくださいね」 「たまにと言わず毎週遊びにくるよ」 「土方先輩も」 「・・・ああ」 土方先輩もぎこちなく頷いてくれた。この風紀委員長・副委員長とこうして会うこともなくなるのだと思うと少し寂しい。でも、今私にはこの二人より大切・・・と言っては失礼だけど、やっぱり大事な人がこの場にいないことに気づいていた。 「あの、沖田先輩は・・・?」 「総悟なら多分屋上にいるぞ」 きっと誰もいない場所を選んだのだろう。私のような後輩達から逃げるために。若しくはそういう後輩に既に捕まっているという可能性もある。どっちにしてもちょっと行くのは気が引けるが、やっぱりこれが最後だ。行くしかない。 Z組の女の先輩のもとへ何か叫びながら走っていった近藤先輩と向こうから来た彼女さんを見つけて軽く手を上げた土方先輩に挨拶して私は屋上へつながる階段へと向かった。 「沖田先輩!」 少し息を切らしながら屋上への扉をくぐると、沖田先輩が一人フェンスに凭れかかって校庭を眺めていた。風が少し強い。 振り返った先輩の横顔にドキっとする。こんな気持ちも今日が最後だ。 「ああ、さん。やっぱり来たか」 「わかってたんですか?」 「まあね。後輩のことはなんでもわかるんでィ」 既に着崩された格好の先輩がこっちを振り向いた。その姿はいつもと変わらないのに、手に持っている筒がやはり今日という日を示している。ちらっと先輩の胸元を見ると、第二ボタンはすでになくなっていた。ちょっと遅かったか。 先輩の隣に並んで同じように校庭を見下ろすと、あちこちで別れを惜しんでいる人たちの姿が見えた。 「卒業おめでとうございます」 一つ呼吸をして言うと先輩は笑いながらありがとうと言った。 「先輩と会えてとっても嬉しかったです。楽しかったです」 もっと思ってることは沢山あるし、いくら感謝してもしきれないけど、それをうまく言葉にですることができない。 「先輩のことを好きになれてよかったです」 片思いなのにこんな素敵な恋ができるなんて想像もしなかった。きっと沖田先輩だったからだ。先輩が優しくて優しくて、本当に優しくて。だからこんな、いつまでも心のなかに大切にしまっておきたいと思える恋が出来たのだ。 「ありがとうございました」 しっかり先輩の顔を見て言う。今の私は笑えているだろうか。ちょっと泣きそうだけど、でも笑えているはず、だ。 「そんな顔されると卒業しづらくなるな」 「・・・え?」 「俺は良い後輩をもって幸せだねィ。ほら、手、出しなせェ」 「手?」 いいからいいから、と私の左手をとってそれを開かせると先輩はポケットから何かを握り締めて出して、それを私の掌の上にぽんと落とした。 「これ・・・」 受け取ったそれは金色に光るボタン。先輩の学ランを見ても欠けているのは2番目の釦だけだ。 「さっきから知らない後輩どもに次から次へとボタンくれボタンくれ、って言われてねィ。どうせ上げるならさんに上げようと思ったんでさァ」 どうして先輩は最後までこんなに優しいんだろう。どうして最後まで私の心を捕らえて離してくれないんだろう。 「あ、ありがとうございます。大切にします」 我慢してたはずなのにこらえきれなくなった涙が一筋頬を伝う。 「泣かせるつもりはなかったんだけどんねィ」 一瞬驚いたような顔をして、それから苦笑いしながら先輩はぽんぽんと頭を軽く撫でてくれた。その重みに、不思議と涙は消えていった。 「彼女さんと仲良くしてくださいね」 「ああ」 「文化祭とか、一緒に遊びに来てくださいね」 「そーだな。さんに彼氏ができたかチェックしにきてやるよ」 「え・・・」 「冗談でィ」 そう言った先輩の笑顔にはいつものような悪戯っぽさが混じっている。 「ま、でもさんならきっと良い彼氏が見つかるさ」 「・・・私は沖田先輩のことが好きなんです」 「知ってる知ってる」 ちょっと怒ったように言うと先輩が噴出すように笑ったので私もつられて笑う。こうしているといつもと変わらない日のようで、今日で最後なんて嘘みたいだ。また少しのお休みが終わったら4月から会えるような気がしてくる。けど、どんなにそう思ってもやっぱり今日が最後だというのは変わることのない事実だ。 先輩は一呼吸置いてしっかりと私に向き直った。私も先輩を見る。 「今までありがとう。俺もさんと知り合えて結構楽しかった」 その瞬間の先輩は息をするのも忘れてしまうくらいかっこよかった。 きっとこの先私が他の人に恋をしても決して忘れることなく、いつまでも心の中に一枚の写真のように色褪ずに残るだろう。 それじゃ、と言って先輩は扉へと向かって歩き始めた。 本当に行ってしまう。 「沖田先輩!本当にありがとうございました!大好きです!!」 どんどん遠くなっていく背中に思わず叫ぶと、振り返らないまま先輩はひらひらと手を振った。見えるはずもないのに、私もばかみたいに手を振って先輩を見送った。 先輩が見えなくなって、振っていた手をぱたりと降ろす。 「・・・行っちゃった」 やっぱり結構寂しいし悲しいけど、それ以上に嬉しい。叶うことはなかったけど、先輩の中で私はその他大勢の人よりちょっとだけ目立てたのではないだろうか。 左手にある小さい金色のボタンが太陽の光を受けながらそれを教えてくれている。 |