修正液のにおいが少し鼻についた。 ペンで間違って書いてしまった箇所を白く塗りつぶす。 外を見上げれば抜けるような雲ひとつない青空。 自分が今手に持っている修正ペンでこの青空に雲を書くことができたらどんなに楽しいだろう。 まずは普通の雲を書く。モコモコしたやつ。次に、ハートの形をした雲を書いて、動物の雲を書いて、ああ、果物なんかもいいかもしれない。 果てしなく広がる青いキャンパスに自由に絵を描く。 その雲達はそのうち流れていき、色々な場所を旅する。 なんて素敵なんだろう。 そんなことができたら、きっと私は世界の全てを手に入れたような気分になるに違いない。 私達の生きる場所を覆う、全てが私のキャンパスなのだ。 昼間はこの修正液で雲を書き、夜は筆箱に入っているキラキラ光るペンで星座を描く。 でも、そんなことができても、きっと私は日が暮れていく時のオレンジ色の空には何もしないだろう。 そのくらいこのオレンジ色の空が好きなのだ。 水色からオレンジに変わり、やがて闇の色へと溶けていく、この瞬間が私は大好きなのだ。 「で?結局てめーは何が言いたいんだ」 晋助が私の横で溜息交じりに言った。呆れてる。 私も晋助がこの話に共感してくれるだろうとは最初から思っていない。 「だから、今この瞬間が私は世界で一番好きなわけ。それを、晋助と一緒に見られるっていうのがとっても嬉しいの」 「それを言うのに、修正液だの空に落書きだのの件はいるのか?」 「だからね、例え私がどんなに空を操れようと、この瞬間だけは不可侵領域なんだよ。もし、この瞬間に空に落書きでもしようとするような人がいたら殺してでも止める。そのくらい好きなわけ。それをね、授業中に思って、どうしても晋助に伝えたかったの」 「相変わらずわけ分かんねーな。お前」 「その分からないのと付き合ってるのは晋助だよ?」 「ハッ、違いねぇや」 晋助は足を組み直して目を細めて空を見上げた。 もしかしたら、私の言いたいことがちょっとわかってくれたのかもしれない。 屋上のフェンス越しに見える遠くの空は太陽が半分ほど顔を出している。あと少ししたらあのオレンジ色の光もなくなるんだろう。真上の空は濃い色が覆う。徐々に星が輝きだした。 びゅう、と風が吹いて少し寒くなったので膝を抱えると、それを横目にみた晋助が自分の学ランを脱いで私の頭から被せてくれた。あったかい。 「久しぶりじゃん、何で学校こないの?」 学ランを羽織りなおしながら晋助を見ると、彼は遠くの夕日を見たままボソリと呟いた。 「面倒くせぇ」 「それじゃあ私が晋助に会えない」 最後にあったのは先々週の木曜日。それで今日が金曜日。実に14日ぶりの再開。 あんまりに会えないんで、悲しくて日取りまで覚えてしまった。 もしかして私、愛されていないんじゃないだろうか。ここ3日間はそんな不安が頭をよぎってばかりだった。 「来ると銀八がうるせーんだよ。学校来いだの授業出ろだの。席も離れちまったし、お前授業さぼんねーし」 そういえば、先々週の月曜日にHRで席替えして、それまで隣だった私と晋助は廊下側と窓際という全く別の場所に飛ばされた。 もしかして、それで学校に来るのが面倒になったんだろうか。 私が隣じゃなくなったから。 思い返してみれば、私と晋助の席が隣だった間は晋助の出席日数がいつもより多かった気がする。 やっぱ前言撤回。私、愛されているらしい。 「なに一人でニヤニヤしてんだよ」 「べっつにぃ〜」 だって晋助が学校に来なくなった理由が席替えなんて可愛いじゃないか。にやけたって当然だと思う。多分沖田辺りが聞いたら転げまわって爆笑するだろう。 晋助は再度溜息を付きながら何かを私に投げてよこした。 「ほら」 反射的に受け取って、手のひらを開いてみるとそこには銀色の鍵が乗っかっていた。 「これ・・・」 「俺の家の合鍵」 「もしかして、もらっていいの?」 晋助は、ああだかうんだかの返事をした。 もう一度その鍵を見る。何の変哲もないただの鍵だけど、それがとても神々しく見えてきた。だって、これがあればいつでも晋助に会いに行ける。 ポケットからキーホルダーを出して、それに提げると、私の家の鍵と晋助の家の鍵が並んだ。 なんだかわくわくしてきた。 「本当にいいの?」 「ああ」 「勝手に上がって晋助がいなかったら勝手に帰ってくるの待ってたりしちゃうよ?」 「ああ」 「勝手に上がりこんで夕ご飯とか作ってあげちゃうよ?」 「好きにしろ」 本当にもらっちゃった。晋助の家の、合鍵。 なんて私は愛されているんだろう。 お礼になにか・・・そう思ったら、空でキラリと星が光った。 慌てて鞄の中を漁る。 「晋助、これあげるよ」 「ああ?んだよ、これ」 「私の一番お気に入りの色。晋助はそれで星座を描いていいよ。鍵のお礼。」 「お前はどーすんだ?」 「私は雲担当、晋助が星担当ね」 そう言って、筆箱の中から修正ペンを取り出してみせる。 晋助にこの夜空を託そうじゃないか。晋助になら任せてもいい。 「やっぱお前馬鹿だな」 晋助は私から受け取ったペンを見ながら小馬鹿にしたように言ったけど、目元は可笑しそうに笑っていた。 でも、私はその顔もキライじゃない。 彼らしいニヒルな笑い方も好きだけど、たまに見るこんな表情も好きだ。 「でも、どーすんだ?」 「なにが?」 「お前の担当が昼間で俺の担当が夜なら、全然噛みあわないじゃねぇか」 「あ、確かに」 そして何だかんだ言いつつも私の話に乗ってくれる。晋助のこんなところも好きだ。 考えながら、遠くを見つめる。あと少しばかりのオレンジ色の空と、これから私達を照らしてくれる星達が一度に見えた。 「わかった!」 「あ?」 目を輝かせる私を晋助は片目だけでチラリと見た。 「夕方だよ。夕方に描けばいいんだよ」 この夕暮れ時ならば私と晋助が同じ空に落書きをできる。 「お前、さっきこの時間に落書きしたら殺してでも止めるって言ったじゃねぇか」 「晋助と一緒に描けるなら特別に許す」 晋助と一緒に落書きできるなら、特別にオレンジ色の空をパレットにしてもいい。 「うわ。ますます夕日が好きになる」 その光景を思い浮かべて頬を緩める私を見た晋助はクク、と喉を鳴らした。 「やっぱお前バカだな」 晋助もどこか楽しそうだ。 マナーモードにしてあった携帯がベッドの上でヴーと音を立てて震えた。 晋助からのメールだ。添付ファイルつき。 でも件名も本文もない。 けれど、添付ファイルを開いて、その写真を見た私は一人でにやけてしまうのをこらえきれなかった。 『明日、10時に来い。鍵使え』 そう、黒い紙に私が上げたペンで書いてある。 やっぱり私って相当愛されてる。 私は返事をするために、水色の紙と修正ペンを取り出した。 |
空 色 パレットに 愛 をこめて |